離人症に関する小話


頭、体、心のバランス

 離人症のメカニズムを一通り知ったおかげで、これは、どうやら、頭と体と心のバランスが崩れるので、そんな奇妙な違和感がするのではないかと思うようになりました。

「こころ、ここに、あらず」
 
 という言葉がピッタリな離人感という感情は、幽体離脱に近い状態で、つまり、自分の魂が、体から半分だけ抜け出してしまって、自分の体を、外部から見下ろして傍観しているような感覚になるのです。
 しかし、離人状態であっても、頭の理知的な部分は、正常に働くため、日常生活はある程度、普通にすごせるし、現実に何が起きているのかは、正しく認識できるのです。
 
 離人症になりますと、頭は常に克明に物事を分析し、認識できるのですが、心がすっかり、自分の肉体から離脱してしまって、頭と心の中間に位置する体が、バグって、ちぐはぐな行動をとってしまうと見ることができます。

(現実世界)

   頭   
          体
                  心

                (非現実世界) 

 これらの三つの距離感を示すと、このようになります。
 頭は正常に働くため、周りからは、異常視されることが無く、「体の動きがぎこちない」「表情が薄い」という程度にしか見られないのですが、
 本人からすると、魂が体から飛び出してしまっているので、これは、不気味でしょうがないはずです。


離人症は、困って当たり前の現象
 
 離人症の事を知って、まず思いましたのは、これは、もしもなったら誰だって困る状態の出来事なのだ、という事でした。

 何よりも厄介なのは、離人症という症状の知名度が低すぎるため、離人感という言葉を知っていないと、自分の感情を日本語で説明できなくなってしまう事です。

 例えば普通、怒っている人は、「腹がたった」といえば、みんなから自分が今、怒っているという事をみんなから気づいてもらえますし、
 悲しい人は、涙を流せば、みんなから自分が今、悲しいのだという事をすぐに気づいてもらえます。

 ところが、離人症の人は、離人感という言葉を知らない限りは、周りからは一体、何を考えている人なのか、何年たっても、何十年立っても、ちっとも気づかれないのです。一生気づかれない可能性すらあります。
 

 これは本当に、困る。
 誰だってこんな状況になったら困って当たり前です。

 これは、他の神経症、精神病にもあてはまる出来事なのですが、困って当たり前の出来事に困っていただけなので、離人症の人は、自分の感情を他人に説明できないという事について劣等感を感じる必要など全くないのです。もちろん、威張る必要もありませんが。


電気のブレーカーが落ちた、という例え話

 離人症の事を、最もうまく説明する方法として、電気のブレーカーを例えにして話せばよいという事が最近、分かってきました。

 これは、うつ病の本を読んで得た話なのですが、なんで、人間が、うつ病やら、離人症やらといった、とても厄介な心のパターンにはまってしまうのかをうまく説明する方法として、電気のブレーカーが落ちたという話を例に出せばよかったのです。

 何かしらの大きなショック、トラウマを受けたとき、これ以上、ダメージを受けるのを、危険だ、火事がおきて焼け死ぬかもしれないと、人間の本能が判断したとき、人間の脳は、うつ病やら、離人症やらといった、自己防衛本能を発揮して、突然、バチンとブレーカーを落として、これ以上電流を流さなくなる方法を身につける能力を持っているようです。


「怒り」と「離人感」の関係について注目

 インターネットを通じて、多数の離人症体験者と交流を持つようになり、個人的に、あるひとつの出来事が気になりました。
 それは、離人症になる人の共通点としまして、どうも、怒りのエネルギーをいい加減に発散しない人が非常に多いように感ぜられたのです。

 喜び、笑い、悲しみなどといった、ほかの感情に関しましては、さほど偏りが無いように感ぜられますが、どうも、ことに、「怒り」を発散する場合において、離人症の人は、なぜか、それを、普通の人よりも、非常に重大な出来事であるかのように扱ってしまう傾向があるように感ぜられます。

 なぜか、「怒り」を、適当に扱えないのです。
 なぜか、「怒り」を、いい加減に表現することができないのです。

 数々の離人体験者の体験談を読みあさるようになり、私はそこに離人感の謎を解く鍵があるのではないだろうか?と、思うようになりました。

 笑いは、ある程度、いい加減に表現できる。
 悲しみも、かなり、なりゆきで発散することができる。

 しかし、どうも、怒りを表現するときには、なぜか、ひどく、警戒心と緊張を払い、事実を躊躇しながら述べる傾向があるように感ぜられます。

 ほかの精神病にはまっている人の中には、怒りをすさまじく野放しに表現するような人もいるのに対し、離人症の人たちは、なぜか、怒りの扱いが、すごく別格化しているのです。

 怒りを適当に扱わない人がみんな離人症になるというわけでもありませんから、一概にはいえませんが、どうも、離人症になる人の不思議な共通点として、そんな特徴があるという事に注目していただきたいのです。

「怒りを極端に抑制しすぎる事が、離人症の原因のひとつではなかろうか?」

 と、私は思うのです。


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